岩垣雄一氏(京都大学名誉教授)の文献から、 先生は海面変動の理論と砂礫量の数値から年代を特定されている。 「橋立の沿岸流の上流には波見川、世屋川、畑川などの土砂を流出する河川があるが, この砂礫が途中の日置港、江尻港でストップしてしまう。 結果、港が埋まってしまうので浚渫しなくてはならない。 23年間の浚渫量は4500立方メ−トルである。 橋立の断面積を調べると、6000平方メ−トルである。 年間4500立方メ−トルの砂礫で2,5Km成長するには3300年かかる。 一方、小天橋(ブリッジではなく、小さい方の砂嘴のこと)は、 900mであるので約200年かかったことになる。 両者を加えると3500年、すなわち、天橋立が発芽して現在まで、3500年かかっており、 年75センチメ−トルづつ伸びていったことになる」と研究成果を発表されている。 ただ、少なくとも平安時代(1000年前)には、砂嘴は文殊まで達しているので、 大天橋(長い方の砂嘴)の発達に3300年必要なら1000年プラスして、 発生時期は4300年以前ということになる。と記されている。 海中に長く突き出た橋立に”真水”の「磯清水」? 橋立の中、”濃松”といわれる地区に「磯清水」がある。 橋立明神社のすぐ横である。何故、海の中にあって真水なのか?と不思議に思われる。 東舞鶴高校の先生であった依田 忠氏が調査報告を発表されている。 昭和60年、環境庁より、名水百選に指定された「磯清水」の井戸は 、砂州面より1,05mで水面となり、井戸の水深は0,85mである。 湧水ではなく、砂州に降った雨水が溜まり、真水と感じるものであると結論ずけられている。 (塩素イオン濃度は47,3 宮津湾16,800ppm、200ppmを超えないと塩辛いと感じない) 砂嘴の形成から砂礫層と砂層が幾重にも重なって出来ているため、 その層に溜まった水は井戸を掘ると容易に集められると述べておられる。 今は、飲料にはなっていない。 「橋立の 松の下なる磯清水 都なりせば君も汲ままし」(和泉式部 ) 丹後の国司、藤原保昌の妻として丹後に赴任し、残した歌である。 丹後風土記逸文の中に「天橋立」を記述している部分が残されている。 現代風に書き改められている分を、最後に紹介しておこう。 「丹後国の風土記にいわく」 与謝の郡,郡家の東北の隅の方に速石の里あり、この里の海に長く大きな前(さき)あり、 長さは一千二百二十九丈、廣さはあるところは九丈以下、 あるところは十丈以上、二十丈以下なり。 先を”天の椅立”(はしだて)と名付け、後(しり)を久志の浜と名付く。 しか言うは、国生みまし大神、伊射奈芸命(イザナギノミコト)、 天に通い行きでまさんとして”椅”(はし)を作りたてたまいき、故に「天の椅立」といひき。 神の御寝ませる間に倒れ伏しき、すなわち、久志備ますことを怪しみたまいき。 故に久志の浜と云ひき。これより東の海を「与謝の海」といい、 西の海を「阿蘇の海」という。 この二面の海に雑(くさぐさ)の魚、貝など住めり。 「椅」は「はしご」の意味である。 過去の少し硬い話になった、このあたりで現在に戻そう。 いつもの通り”松並木を歩いてみよう” まず”籠神社にお参りし、大きな石の鳥居の下をくぐり、道路に出る。 道路を渡ると一宮桟橋である。このあたりはきれいに整備されている。 大きく開けた阿蘇の海は、正面に宮津の町、左手に松並木が見渡せる。 松並木は、足にやさしい”土の道”である。 すぐ右手に、「金樽いわし」の標識がある。 むかし、この海で、貴人が船を浮かべ金の酒樽を持ち込み”宴”を開いていた。 そして、誤って金の酒樽を海に落としてしまった。船頭に言いつけ、網を打たせたが、 樽は上がってこず、代わりに、よく肥えた”いわし”がとれた。 その後、此処でとれる”いわし”を「金樽いわし」というようになり、宮津の名産になっている。 オイルサーディンに加工して売られている。 歩を進めると、次に目につくのが「双龍の松」である。 平成16年10月20日、当地を襲った台風23号による松の被害は甚大で、247本の松が倒され、 そのうち、この「双龍の松」も倒れたのであった。 そして、ここに根の一部を残し、この場所に「里帰りの松」として、太い幹二本をくりぬき、 子供が通り抜けられるようにして並べ、記念碑を建て、観光スポットにしたのである。 回旋橋まで1,1kmのところに「千貫松」がある。 ”千貫文目の価値あり”の説明文があり、堂々とした幹回りと 長年の風雪に耐えてきた姿を見せている。 さらに、大正天皇、昭和天皇の皇太子時代の”お手植えの松”も植えられている。 右手には、天橋立明神の社と鳥居、磯清水の井戸も、 今は訪れる人も少ないが、 その歴史を刻んでいる。 そして次には、与謝野 寛(鉄幹)、晶子の歌碑がある。 「小雨はれ,みどりとあけの虹ながる与謝の細江の朝のさざなみ」 寛 「人おして廻旋橋のひらく時 くろ雲うごく天の橋立」 晶子 さらに歩を進めると、大天橋、廻旋橋へと続くのである。廻旋橋を渡った左手に、 かって賑わった文殊港の名残を残す、「文殊港の松明台」と説明文がひっそりと建っている。 松並木の中には、多くの花も咲く、有名なのは、「ハマナスの群生」であろう。 宮津湾に面しては、浜昼顔も美しい、やまゆり、ツバキ、変わり種のあじさいなど、 四季折々に楽しませてくれるのである。 風に吹かれ、波の音を聞きながら、ゆっくり、のんびり散策しているのである。 |
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丹波丹後ロマン紀行【旅楽おやじ倶楽部】 |