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天橋立について述べた、次は智恩寺であろう。
古くは島の上に建てられていた。船で参拝された絵が残されている。
今は、北近畿タンゴ鉄道、天橋立駅のすぐ向かい側に位置する。橋立松並木の南の端でもある。
本尊は「文殊菩薩」であり、日本の三大文殊に数えられている。
奈良桜井の安倍の文殊、山形亀岡の文殊とともに”知恵の文殊”と讃えられている。
「文殊堂略記」によると「起源は遠く、神話にさかのぼり、イザナギ、イザナミの二神が
この地に住んでいた悪龍を教化するために、中国の五台山より”知恵の文殊菩薩”を、
天橋立の地にお迎えしたのに始まるという。文殊菩薩の霊場である。
松並木を一の宮籠神社(このじんじゃ)方面から歩いて、廻旋橋を渡ると、
すぐ右に、大きな山門が見える。
「黄金閣」という、この門を入り、正面に文殊堂、左手に多宝塔、その前に、三鈷の松、文殊堂の奥に本堂などである。
文献等によれば、醍醐天皇の勅願寺で、延喜4年(904)に天橋山、智恩寺の山号、寺号が下賜され、
文殊信仰は時の政府に重要視されていたらしい。寺は何度か興廃を重ねている。
鎌倉時代の嘉暦(1326〜9)に禅宗の寺となり、(それまでは、真言宗)江戸時代に臨済宗妙心寺派となっている。
山門の前は”門前市”となり、参拝客、観光客を迎えている。
その中に、4軒の”知恵の餅”の店があり、それぞれに、競い合っている。
私も、いつもの散歩の途上、何日かを掛けて、4軒すべての店に入り”餅”を味わってみた。
4軒とも微妙に味が違う。店の人に尋ねると、それぞれ工夫していて、少しずつ違うんですと答えていた。
いずれも、嘉暦年間創業となっている。
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1501年位に画かれたと伝えられる雪舟の「天橋立図」には、この文殊堂がはっきりと画かれている。
本尊文殊菩薩像、脇侍の優てん王像、善財童子3体ともに国の重要文化財に指定されている。
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多宝塔について
文亀元年(1501)の落成である。延長春信(丹後国守護代)を願主として、
籠神社別当大聖院の智海が建てたとある。国の重文である。
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山門(黄金閣)について
先年の解体修理で、建築時の出面板(記録)により、大工延べ8780人を要したこと、
現在の建物は明和4年(1767)の建築であること、時の後桜町天皇から黄金の下賜を受け
、「黄金閣」と名付けられたことが解る。楼上には釈迦如来像、16羅漢像が安置されている。
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三鈷の松
松の葉が三本あり、持っていると幸せに成るという。私も、数本いただいて来て持っている。
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鉄湯船(鉄の風呂釜)
現在、手水鉢として使われているが、本来は寺の僧の湯船であった。
近くの、成相寺にも同様のものがあり、内側に銘文が鋳出されている。
元は、興法寺(弥栄町)のために造られたものであり正応三年(1290)の作とある。
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この智恩寺と一の宮籠神社を結ぶ参詣道が”天橋立松並木”である。
丹波丹後ロマン紀行【旅楽おやじ倶楽部】 |