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 天橋立松並木の付け根、宮津市大垣(府中)に、籠神社は鎮座している。
さらに、山手右側に奥宮として「真奈井神社(古称,吉佐ノ宮)」がある。

 祭神は、奥宮に豊受大神、天照大神、伊射奈岐命、伊射奈美命、ミズハノメ大神、
本宮籠神社には、主神彦火明命(ヒコホアカリノミコト)、相殿に豊受大神、天照大神、海神、天水分神、とある。



 この神社の特筆すべきところは、

1、社殿   2、元伊勢といわれる理由  3、宮司、海部家に伝わる秘宝   であろう。

 まず社殿は、伊勢神宮と同じ、唯一神明造りで、心御柱や棟持柱があり、
特に高欄上の五色の座玉(すえたま)青、黄、赤、白、黒は
伊勢神宮御正殿と当宮以外には見ることができない。
社殿建築としては、最古で高い格式を表している。

 次に、なぜ「元伊勢」といわれるのか。由緒によれば、
神代の昔から奥宮の「真奈井原」に豊受大神を、お祭りしていた。

そして、人皇十代崇神天皇の御代に天照大神が大和の笠縫邑から、
この地に移られ、与謝野宮(吉佐宮)として、豊受大神、天照大神を併せお祭りした。

 その後、十一代垂仁天皇の御代に天照大神が伊勢に移られ、
二十一代雄略天皇の時代に豊受大神も伊勢に移られた。

伊勢の内宮に天照大神、外宮に豊受大神が祭られているが 、
”外宮先参り”と言われ、外宮から先にお参りする。

これはなぜか? 

この宮津の神社で古くから、豊受大神が先に祭られていた事に関係があると思われる。
 それにより、当神社を「元伊勢神宮」と呼ばれる。
そして社名も「籠宮(このみや)」と改め、丹後一之宮となった。
  
 三つ目の、海部宮司家に伝わる秘宝とは、

 ア、「籠名神社祝部氏系図」(本系図)と「海部氏勘注系図」(略称)の日本最古の竪系 図。

 イ、息津鏡(後漢時代)=内行花文長宣子孫鏡と辺津鏡(前漢時代)=内行花文昭明    
   鏡の二つの鏡が、出土したものではなく、神殿奥深く、永く伝承されてきたことに驚かされる。

 この息津鏡と辺津鏡については、古事記 に記載されている。
応神天皇の時代に新羅の王子「天の日槍」(アメノヒボコ)が日本に持ってきたものであると。
なお、「アメノヒボコ」は出石神社に祭られている。

 また、各地で発見されている「青龍三年鏡」よりも、かなり古いものであり、
また、女王卑弥呼の墓だろうといわれる、奈良の「箸墓古墳」の東山寄りの
「ホケノ古墳」からも、類品が出土している。



 籠神社の現宮司は、82代目で海部光彦氏であるが、2000年以上にわたり、
子子孫孫伝えられてきた、この「海部氏系図」と「伝承二鏡」を世に公表され、
昭和51年に国宝に指定された。  

 金久与市氏による「古代海部氏の系図」に、次の様な記述がある。
 「海部氏の本系図では、始祖、火明命より三代の孫を「倭宿弥命」(ヤマトスクネノミコト)と称している。
火明命(ホアカリノミコト)は、天照大神の孫であるから、倭宿弥命は、天照の五代目の孫にあたる。
 一方、「古事記」では、天照大神の五代後は神武天皇であり、
「海部氏勘注系図」上では、倭宿弥命とされる。故に、神武天皇と倭宿弥命は同一人物なのであろうか?



 最後に”民謡を紹介しておこう。
”伊勢へ詣らば、元伊勢詣れ、元伊勢お伊勢の故郷じゃ、 伊勢の神風、海山越えて、天橋立吹き渡る”

 家を出て、ゆっくり、のんびり散歩する。
25分ぐらいで「籠神社」に着く、参拝したのち、天の橋立、
松並木を「智恩寺」まで、約3,7km歩を伸ばす。

これを週のうち2〜3日やっている、天橋立は我が散歩道なのである。



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