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9.丹波に残る羽衣伝説

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 我が国の古代史に思いを寄せる時、712年にできた「古事記
また、720年に作成された「日本書紀 」は、その基本となる文献であろう。

そしてさらに、713年に諸国の国司に命じて作成させた、郷土史的文書の「風土記」がある。
ただ、現存するものは、常陸国、播磨国、出雲国、豊後国、肥前国、の五風土記のみ残されている。

 官命では

1、郡郷には、好ましい名をつける   2、郡内の鉱産物、動植物の品目名

3、山川原野の名称起源   4、土地の肥沃   5、古老の伝える古伝承など

を国勢報告書の様に申告させたものと言われている。

丹波に残る羽衣伝説
奈具神社

そして「丹後風土記」は、散逸してしまい「逸文」として残っているのみである。
水之江の浦島子」 「天橋立」 「奈具社」の三つがある。
その「羽衣伝説」について、今回述べることにしたい。
そして、また後日、「水之江の浦島子」(浦島太郎伝説)についても記述したいと思っている。



羽衣伝説は、我が国各地に多く残されている。この丹後にも二つの「羽衣伝説」がある。

一つは「丹後国風土記逸文」に記載されている「奈具社」と題した、八人の天女が比治山の上にある、
真奈井の池で身を清めていたという、この地に住む和奈佐(わなさ)と言う老夫婦が、
丁度行き合わせ、そっと一人の天女の羽衣を隠してしまった。

羽衣のある者は天に戻ってしまったが、残された天女は、水に身を隠していた。
老夫婦は天女に向かい「私たちには子供がない、どうか私達の子供になって下さい」と頼んだ。
天女は「私一人、下界に取り残されてしまいました、
この上は、お言葉に従います」と言い、それから10年ばかり一緒に暮らした。
この天女は、万病に効くという酒を造り、そのことにより老夫婦は大そう金持ちになった。

 ある日、突然、天女に向かって「お前は、わしらの子ではない、家を出て行け」と言う、
天女は「自分から望んで、子供になったわけではない、頼まれて子になった、
なぜ、今になってその様なことを言うのか」と言ったが、許してくれない。

嘆き悲しみ、家を出てさ迷い歩き、竹野郡舟木の里の奈具の村に来て
「やっと私の心は、なぐしく(おだやかに)なりました。」と言いとどまった。
この天女が「奈具神社」に祭られている豊宇賀能売命であると言う伝説。




 もう少し、この話を歴史的に見てみたい。 

奈良時代の終わりにできた、「止由気宮儀式帳」と言う史料の中に、
22代雄略天皇が「丹波の国の比治の真奈井にいる御ケ都神(食物の神)の等由気大神を
伊勢におられる天照大神の御膳をつかさどる神としてお迎えなさい」と夢の中で教えられたので
止由気の宮(伊勢の外宮)にお迎えした。と書かれていると。(門脇禎二氏=地域王国とヤマト王国) 

故に、この等由気大神=豊受大神は、
丹後国風土記逸文の羽衣伝説、奈具神社に祭られた豊宇賀能売神であるということになる。



もう一つは、「天女の家、安達家」に伝わる天女伝説である。
磯砂山(比治山)で狩猟をしていた猟師の三右衛門(さんねも)が
、女池で水浴をしていた八人の天女のうち、一人の天女の羽衣を盗んで家に持ち帰った。
羽衣をなくした天女は、天に帰れず、とうとう三右衛門の嫁になった。

 そして、三人の子が生まれた。天女は農耕や養蚕、機織、などを広め、その家は豊かになった。
ある日、天女は、子供に「お父さんは、毎日どこを拝んでいるのか?」と聞いた、 子は「大黒柱を、拝んでいる」と答えた。
そこで、大黒柱を探すと、穴が開いているところに、羽衣が隠されていた。

 天女はその羽衣を身につけ天に帰ってしまった。
その後、長女は、「乙女神社」に、次女は、「多久神社」に、三女は「奈具神社」にそれぞれ氏神として、
また農業の神として祭られたという伝説である。



 この二つの話を、考え合わせると、高い技術や文化を持った渡来人が、この地で亡くなり、
悲しんだ村人たちが手厚く祭ったということが、根にあるように思える。そして”神”になった。

 天女伝説は各地にある、三保の松原、滋賀の余呉湖、など有名である。
そして、鶴になったり、神になったり、これもいろいろ。唯、この丹後の伝説が最も古い話なのである。
そして、この天女が、大宮売神社の豊受大神であり、籠神社の豊受大神であり、伊勢神宮の豊受大神であるというのである。

丹波に残る羽衣伝説
天女の里

10月中ごろ、秋晴れの日に、羽衣伝説の地、磯砂山(いさなごやま)を訪れた。
わがセカンドハウスから、国道178号線、312号線を経て、久美浜方面に向かう、途中、比治山トンネル手前を左に折れる。
すると、程なく「天女の里」(キャンプ、コテ−ジ宿泊、など交流タ−ミナル施設)がある。
 昔ながらの、田舎家や山に囲まれた、懐かしい雰囲気の里である。

丹波に残る羽衣伝説
乙女神社

そして、すぐ前に「乙女神社」が鎮座する。石段を登ると、石の鳥居と小さな社が建っている。

丹波に残る羽衣伝説
磯砂山登山口

さらに山に向かって車を走らせる、細い林道に入る、約2km登った駐車場に車を止める。
「羽衣茶屋」と書かれた休憩所がある。その先からいよいよ、天女が舞い降りた「女池」がある「磯砂山登山口」である。

頂上まで1010段の標識があり、よく整備された階段が続いている。 標高661mの山である。
ハイキング気分で軽く登れるだろうとスタ−トしたが、何度も途中休憩し、あえぎあえぎ登った。

丹波に残る羽衣伝説
「羽衣伝説発祥の地」のモニュメント

登山道から200mぐらい脇にそれたところに「女池」はあった。秋とはいえ、晴天、汗をたっぷりかいて頂上までたどり着いた。
頂上は木々もなく広場になっていて、「羽衣伝説発祥の地」のモニュメントが立っている。

丹波に残る羽衣伝説
久美浜湾、丹後半島先端の経が岬、天橋立、も見渡せる

そして、遠く久美浜湾、丹後半島先端の経が岬、天橋立、も見渡せる。
天女もここなら、降りたいと思うだろうと思ったりした。
ひと時、すがすがしい気分を味わい、下りはヒザに気をつけながらゆっくり下山した。

丹波に残る羽衣伝説
多久神社

312号線から482号を峰山に向かい、丹波町の「多久神社」(天女の次女が祭られている)を参拝した。
大きな鳥居が県道沿いにあり、”古墳の跡”の標識、祭神はやはり「豊宇賀能売命」とある。 立派な神社である。
この近くには、日本で最古、最大の水晶工房と言われる「奈具岡遺跡」がある。
一世紀ごろ栄えたのだろう。丹後はガラスの国とも言われ、多くの古墳や遺跡からガラス玉、ガラス釧(腕輪)も出土している。
また、三種の神器の一つである「ヤサカニノマガタマ」は、この丹後から出たと伝えられている。

丹波に残る羽衣伝説
奈具神社

 そして、さらに車を進め、舟木の里に入る、「奈具神社」はすぐにわかった。
石の鳥居と石の階段、少し上がると小さな社が三つ並んでいた。ひっそりと建っていると言う感じである 。
伝説によると、天女の三女が祭られているという。ここが「羽衣伝説の奈具社」なのである。
祭神は勿論、「豊宇賀能売命」であると。

 最後に、京丹後市弥栄町”農業委員会”の羽衣伝説の史料を紹介しておこう。
 「夜空に輝く、北斗七星の第六星の外側に実は輔星(そえぼし)と呼ばれる小さな星がある、
これを加えると、星は八つになる。民俗学者の吉野裕子さんによると輔星はトヨウケであるという。
 トヨウケ一人をおいて天に帰ってしまった他の七人の天女たちは、当然北斗七星を思い起こさせる」と。
ロマンの薫り高い話である。


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