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セカンドハウスでの生活で、日常の必要なものは、近くのス−パ−で購入する。
しかし、月に1〜2度は少し離れた(車で20分位)大型ス−パ−に出かける。

宮津市と京丹後市の接する地であり、大宮町、峰山町、弥栄町の合流点でもある。
かって古代から開かれ、栄えていた土地で大きな古墳が、多くのこされている。
そして古い神社も、今に伝えられているのである。

 NPO法人の「全国まちづくりサポ−トセンタ−」発行による「もっと知りたい、伝えたい丹後の魅力」という小冊子を見つけた。
中に記された三つの古社を訪ねてみることにした。ス−パ−マ−ケットの買い物の道すがらに・・・

 

木積神社(大宮町久住)

 「木積神社今新熊野宮と称し、億計(おけ),弘計(おけ)の二皇孫を祀る。俗に高森大明神、三島大明神という、
億計、弘計の二皇孫ここに居住せられしより、村を皇住村(こうずみむら)という」とある。現在は久住(くすみ)である。

 二皇孫とは、市辺押磐(いちべのおしわ)の子であり、後の24代仁賢天皇(億計)、23代顕宗天皇(弘計)である。
5世紀後半皇位継承の戦いの中、雄略天皇によって父市辺押磐が殺害され、
迫害が二皇子に及ぶのを恐れた家臣の日下部使主は、二人の皇子をつれ、この与謝に隠れた。
22代清寧天皇の時代、都に迎え入れられた、億計32歳、弘計30歳の時であった。
そして清寧天皇逝去に伴い、二人は皇位を譲り合った末、弟の弘計が先に23代顕宗となり、後24代仁賢に兄が即位している。

 

 国道178号線から府道53号に入り、大宮に向かう、少し走ると「久住」の集落がある、人家は道路に面して密集している。
中間あたり右側に小さな石の碑が建っている。「延喜式内、木積神社」と書かれている。
山に向かって、急な土の階段があり、中段に鳥居、さらに登ると社殿がある。訪れる人は殆どないと思われるが、
きれいに手入れされ、村人たちに、ひっそりと祭られている感じがした。

 天橋立、籠神社の奥宮真奈井神社の東に「麓神社」がある。
極小さな祠で、注連縄や鈴がなければ、唯の小屋かと思ってしまう位で、訪れる人は無い、この神社も億計、弘計の二皇孫を祀る。
 また、近くに「大内峠」という地名がある。これは「王落ち峠」であると語られている。
 この二皇孫の伝説は、丹後に多く残されているのである。



溝谷神社(弥栄町外村)

 

 この神社は、「新羅大明神」と呼ばれる。社伝には、丹波道主命の子大矢田宿禰は13代成務、
14代仲哀天皇および神功皇后に仕え、神功皇后三韓征伐に従軍した、
鎮守将軍となり新羅に留まり毎年、新羅より多量の貢物を献上していた。

 任を終え帰国の途中、暴風雨にあい、スサノウノミコトを祈願して無事帰ることができた。
そして、直ちに「新羅大明神」として祀ったという。
 祭神は天照大神、奈具大明神(豊受大神)、新羅大明神、とされている。航海の神様として崇敬されている。
名前のとうり、渡来人、帰化人の氏神として建てられたのであろう。
 姫路の新羅神社、城崎の韓国神社、出石の出石神社なども渡来人の神社といわれる。

 永万元年(1165)太政官平の清盛の嫡子、平の重盛が丹後の守に任ぜられ、
与謝郡府中村に館を建て丹後を統治したとき、武運長久祈願にため新羅大明神を信仰し当社を再建した。
その後、天正年間、織田信長は、当社の信仰厚く、先例に習って社殿を改築し「新羅大明神」の神号を書し額に鋳造して奉納している。
現在も神宝として保管されている。いま、絵馬堂にある額はコピ−であろうか。
この神社も、府道53号を少し山側に入ったところにひっそりと建っている。

 

 金刀比羅神社(峰山町泉)

 京丹後市庁舎のすぐ向かい、山の中腹にある。立派な神社である。朱色の山門が目に飛び込んでくる。
由緒によると、江戸時代の240年間、京極家12代が一万石の城下町として峰山を治めていた。

 文化8年(1811)峰山藩主の頼みにより、四国讃岐の金比羅権現の分霊をお迎えしたものであると。
祭神は大物主大神である。
琴平は、丸亀6万1200石京極佐渡守の領地であったが、金比羅さんの御山は分家多度津京極壱岐の守の領分であった。
この多度津京極家から峰山藩主6代高久は養子として迎えられ、そして7代高備の時代に讃岐琴平から分宮したものであると。



 境内に「木島神社」があり、養蚕の神様として祭られている。
文政13年(1830)2月29日に山城国、木島養蚕神社からお迎えしたものと由緒にある。

 

社殿の前に、狛犬のように”猫”の石像がある。



狛猫”? 神社でいただいたパンフを見てみよう、「ここ丹後峰山は「丹後ちりめん」の発祥のちである。
ちりめんの絹、蚕の大敵はネズミ、このネズミを追い、ちりめんを守る」、
ことから機織り養蚕の守護神としてお仕えしているとしるされている。
やっぱり、ネズミ退治だった・・・日本で唯一だとも。



 なお、昭和2年(1927)3月の丹後大震災で本殿他全ての社殿は倒壊し、現在の社殿は再建されたものである。
 120段の石段を登り、山門をくぐり、本殿に参拝、紅葉した木々の美しさを眺めながら、
併せて祭られている五棟七社をお参りして帰路に就いた。


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