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祭神は豊受大神である。他にニニギノミコト、アメノコヤネノミコトも祭られている。
そしてこの神社も元伊勢外宮を伝承しているのである。
伊勢の外宮に祭られている豊受大神は、もともとここから移られたと伝えられている。
豊受大神は、この丹後半島内の神社で多く祭られている。
 比治の磯砂山に天降られた、天女神であり「羽衣伝説」にある豊受も酒造り、米造り、五穀豊穣の最高神である。
特に、この「比沼麻奈為神社(ヒヌマナイジンジャ)」は格式が高いとされる。

比沼麻奈為神社

 宮津の「籠神社」、大江町の「皇大神社(内宮)、豊受大神社(外宮)、天の岩戸神社」そして、
この「比沼麻奈為神社」の三か所が”元伊勢”を名乗っている。まだあるかもしれぬ。
神社のある久次(ひさつぐ)と地続きの二箇の苗代地区に現在も残っている「清水戸」(神が初めて籾を浸したという井戸)や、
「月の輪田」(三日月形の田んぼ)で、初穂は伊勢の外宮は献上することになっていると、古い言い伝えが残されている。

比沼麻奈為神社

 11月下旬、夕暮れ前の曇り空の日にここを訪れた。312号線から細い道を曲がりくねって、
人家のある集落を抜け山手に入っていく、こんな所に伊勢外宮の元宮が有るのかと思う位、細い先に鳥居が見える。 

 掃き清められた”白砂”と注連縄、大きな樹木に覆われた社殿、石段を登って参拝する。
何か、荘厳な感じさえする。伊勢神宮と同じ「神明造り」、本殿は由緒によれば、文政九年の建立、外本殿、
拝殿は大正九年から十一年にかけて氏子や崇敬者の浄財により再建されたとある。

 本殿や社務所は、なぜか白いシ−トで囲まれていた、拝むに必要な部分のみ開けてあり、普請なのか、
修理なのかと思って石段を下りた。

比沼麻奈為神社 比沼麻奈為神社

社務所の前で宮司さんが待っていてくれた、白衣に総髪、髪を後ろで束ねて、白いあごひげ、堂々たる風格、
「 ようお参りでした」 「こんなに遅くすみません」 の対話。

「 由緒をお持ちください、どちらからお越しになりました?」「大阪ですが、今宮津に少しの間おりまして・・・」と続き、
神社の生い立ちや伝承などを丁寧に説明していただいた。

そして何より印象に残ったのは 、
”この丹後には、豊受大神をお祭りする神社がたくさんあります、しかし、この「比沼麻奈為神社」は
真に元伊勢外宮なのです。と言われた言葉。

そして加えて、
「あの比治山の天女も豊受となり、奈具神社に祭られていますが、こことは違います。こここそが一番元の宮なのです」
とはっきり自信に満ちた言葉で言われたことだった。 かって神領3800石もあった、その格式からだろうか。

 真実はわからない。
先般、比治山(磯砂山)の天女伝説、降臨の地を訪ね山上にある「羽衣伝説」発祥の地のモニュメントを見てきた自分としては、
こんなにも近い(数キロ)場所に同じ豊受大神の神社があり、米造り、五穀豊穣の神として祭られていることは、
この地域が農業や養蚕、機織りで今日まで連綿と引き継がれてきた歴史があり、
そのように「豊受大神」を崇拝することが、何よりも幸せになれるとしてきた、長い長いしきたりなのであろうと思った。

 そして、帰り際に「あの白い囲いは普請をされるのですか?」と問うたのに
「 いやいや、もうすぐ50センチ〜60センチの雪が積もります、そのための建物保護の囲いです」と・・・
ああ雪深い山里に古代より引き継がれてきた「古社」をまた一つ尋ねることができたとすがすがしい気持ちで帰路に就いた。



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