旅楽おやじ倶楽部




もくじへ【丹波丹後ロマン紀行】旅楽おやじ倶楽部  プロローグ【丹波丹後ロマン紀行】旅楽おやじ倶楽部 プロフィール【丹波丹後ロマン紀行】旅楽おやじ倶楽部
TOP【丹波丹後ロマン紀行】旅楽おやじ倶楽部

 さて、出石という地名は、どこから来たのか?

早速、先に紹介した、伴とし子氏の「前ヤマトを創った大丹波王国 」を開いてみよう。

  「「出石は”古事記 ”や”日本書紀”の伝えによると、
「天日槍」が各地を回り歩いた結果、最後にこの地に落ち着いたところと伝えられる。
日槍がもたらした”宝物”は、七種あるいは八種と書物により数が違うが、
その中に”小刀が一口”ある。その小刀の名前を「出石=いずし」というとある。」」

 出石とは、天日槍が持ってきた、宝物の一つ、小刀からでていたのである。

 ところで、「天日槍」とは、どの様な人物だったのか?

 ”アメノ”と付くから、アメノニニギノミコトやアメノミナカヌシノミコト、アマテラスオオミカミと同じく、
天から降臨した神なのか、また、天皇家と関係が有るのかなど疑問がわく。 

調べてみると、どうも五世紀頃に渡来してきた、新羅の王子だという。
また、「記・紀 」によると垂仁紀であったり、応神紀であったりと定かではないが、
現在の韓国からの渡来人で、高い文化と技能、技術を持った一大集団であったといわれる。
8,000人を引き連れていたとも伝えられるている。四方を海に囲まれている我が国日本、
海の向こうから人が渡ってきて定住し、同和していったことは当然考えられることであり、
その様な人達を”渡来人”といった。

 今一度、伴とし子氏の書に戻ろう。
「日本書紀の垂仁紀二年には”額に角のある人”が越の国笥飯浦(ケヒノウラ)に泊まったとあり、
その名は”ツヌガアラシト”という、そして垂仁三年には”新羅王の子、天日槍来帰せり”とある。
この時、日槍は羽太玉、足高玉、鵜鹿鹿赤石玉、出石小刀、出石槍、日鏡、熊神離(ひもろぎ)の七品をもってきて、
それを但馬国に納めて常に神宝にしたとある」と。

 これらの宝物は、玉であり、剣であり、鏡である、今伝わる”三種の神器”に結びつくと見るのは飛躍しすぎであろうか。
もう一つ、面白いことが解った。16代応神天皇の母は息長帯比女(オキナガタラシヒメ)であり神功皇后のことである。
この神功皇后の系図をさかのぼっていくと、なんと天日槍に行き着くということ。
そしてさらに、我々の年代(70台)が小学校で習った唱歌の”田道間守”=タジマモリも関係が深い。

垂仁天皇の命で常世の国の「非時香菓」=ときじくのかぐのこのみ=不老長寿の実=橘を探しに旅に出て10年、
やっと帰国した時、すでに天皇はこの世にいなかった。

嘆き悲しんだタジマモリは天皇の墓の前でなくなったという話であるが、この「田道間守」は天日槍の三世孫であると。
そしてこのタジマモリは出石神社から、それ程遠くない”森尾”の地に「中嶋神社=お菓子の神様」として祭られている。
またこの地は、田道間守、生誕の地でもある。

 昔懐かしい、唱歌を紹介しておこう

1、香りも高い橘を 積んだお船が今帰る 君の仰せをかしこみて 今帰る タジマモリ タジマモリ

2、おはさぬ君の陵に 泣いて帰らぬ真心よ 遠い国から積んできた 花橘の香とともに 名は香る田道間守 田道間守



もくじへ【丹波丹後ロマン紀行】旅楽おやじ倶楽部  プロローグ【丹波丹後ロマン紀行】旅楽おやじ倶楽部 プロフィール【丹波丹後ロマン紀行】旅楽おやじ倶楽部
TOP【丹波丹後ロマン紀行】旅楽おやじ倶楽部


旅楽おやじ倶楽部©は、いつまでも青春を楽しむ人を応援しています。
「おやじには書いておかねばならぬことがある。」 あなたの素敵な人生を刻み伝えるサイトです。


丹波丹後ロマン紀行【旅楽おやじ倶楽部