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 我がセカンドハウスから宮津湾の左岸に沿って、178号線を北上する。
道路標識には、伊根まで14Kmと書かれている。ところどころ道路も拡幅され走りやすくなってきた。大型観光バスもよく訪れる。

右に宮津湾の美しい海の風景を見ていると、やがて沖に冠島(天孫降臨があったと伝わる島)がくっきりと見えてくる。
海は青く深く輝いて見える。



 養老漁港を過ぎ、二つのトンネルを通り抜け、宮津高校、伊根分校の横から伊根の漁村に入って行く。
この地は、かって鯨漁も盛んに行われていた古い漁師町である。

 小高い山にぐるっと囲まれた伊根湾は、南を向き、湾の入口に“青島”がどんと要壁の如く浮かんでいるため、
風を防ぎ、波を止める天然の良港となっている。
このため、海に面して、今も約230軒の「舟屋」が軒を連ねる、この「舟屋」の後ろ側に細い道路を挟んで母屋がある。



 若い者が、船の格納庫であり、用具などの物置場であり、また、魚の加工場でもある、いわゆる舟屋の二階で住まいする。
親達は母屋で生活している。そして「蔵」が隣接する。この舟屋と母屋と蔵がワンセットである。
この形態が古く江戸時代から連綿と引き継がれてきたが、
近年漁船も大型化してきたため、舟屋に入りきらず、前の海に浮かべている家も増えてきた。



しかし、この「伊根の舟屋群」は、平成17年7月に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された。
また、日本三景天橋立、伊根の舟屋を含む、浦島伝説の伝わる丹後半島、そして鬼伝説のある大江山などは
「丹後天橋立・大江山国定公園」としても、平成19年8月に新しく指定されている。



 満潮時には、舟屋全体が海に浮かんでいるように見える、と言われる。他に類を見ない景観は、
夏の海上遊覧、冬の寒ブリなどで、訪れる人も増えていることだろう。

 湾の奥、小高い山の上に「舟屋の里公園がある 。
春のさくら、五月のツツジなど訪れる人たちの目を楽しませている。

 また、管理棟には「伊根町観光協会」や土産物店もあり、名物の干物もたくさん並べられている。
老舗旅館の「奥伊根温泉 油屋本館 」の出店もあり、旨い魚料理も食べさせてくれる。手頃な食事どころもある。

 展望台から見る伊根湾の風景、舟屋群の眺めはすばらしい、
湾に浮かぶブリやマグロの養殖槽が何基か丸く見える。遊覧船も行き交う。
 何年も前になるが、NHKテレビドラマ「ええにょぼ」や映画「釣りバカ日誌」のロケが行われた場所でもある。

 連なる舟屋の町並みの中に、創業250年の酒蔵「向井酒造」がある。
古代米の”赤米”を使って造る純米酒、「赤米酒 伊根満開 」は女性向きのワインのようで好評だと、また「ええにょぼ」「京の春」が銘柄だ。
しかし、なんといっても、この向井酒造の旨い酒は「特別大吟醸”京の春」であろう。
大きな酒樽から、ビンに詰めてもらい買って帰ったことがある。実に旨い、魚によく合う酒である。
今は、若い娘さんが杜氏として、伝統を受け継ぎ頑張っている。

 別の日に、友人夫妻が、わが別荘に訪ねてきた、伊根に行きたいと。
天気は快晴、車を走らせた。

舟屋の里公園」観光協会で遊覧船の予約をしてから付近を展望、土産物も買い入れてから乗船した。
 「成洋丸」のおじさん(伊根の観光船では有名な人)、説明を面白くしながらの40分位の遊覧である。
海面すれすれ、低い目線で見る舟屋群はやはり迫力がある。満潮時浮かんで見えるというのは、こういうことだと感じいった。
また、上陸はできないが、青島の「蛭子神社」の祭り、(8月20日)”おべっさん” 、手漕ぎの祭礼船で、
競争を繰り広げる、男の祭り、いつの日か、この目で見たいと思っている。

さて、この伊根には、もう一か所、見ておきたいところがある。
それは「新井崎神社」(にいざきじんじゃ)で、祀られているのは「徐福」(じょふく)である。

新井崎神社 京都府与謝郡伊根町新井松川8-3

この神社の創建は,長徳四年(998)と伝わる。
徐福とは、中国秦の始皇帝の時代、不老不死にあこがれる皇帝に上伸して「渤海(ぼっかい)に蓬莱、方丈、ヱイ州の三神仙があり、
そこに仙人が住んでおり、その仙人に会い、”不老不死の妙薬”をもらってくるといった
、始皇帝は、数千人の童男、童女をつけて旅に出ることを許した」と。司馬遷の「史記」紀元前219年に出ている。

 9年後に一度帰国し、妙薬はあるにはあるが、大鰐がたくさんいて島に上がれない、
優秀な射手を用意してほしいと言い訳を言ったり、責任逃れもしている。
また、逃げてしまって、帰ってこなかったとも書かれている。

 伊根新井崎の徐福伝説とは、どのようなものか、詳しく見てみよう。

 「舟屋の里公園」から新井崎に向かう、海に突き出た山の上の道なのに舗装され走りやすい、
対向車も十分に行き交うことができる。道からは、広がる日本海の大海原が見渡せる。

近くには、「千枚田」と呼ばれる棚田もみえる。そして、木々の繁った断崖に張り付くように「新井崎神社」がある。
この地では、徐福は ”産土神”としてまつられ、崇拝されている。

 道に面し小さな茶色っぽく塗られた鳥居があり、石の「新井崎神社」の標識が立っている。
社(やしろ)は道から、少し下にある。石段を下りると社殿と石の鳥居が、丁度海に浮かぶ冠島と正対する形で建っている。
入口に近いところに、石で造られた「新大明神口碑記」が立っている。船が帆を張って航海しているような形に作られている。
また、ここから徐福が上陸したと伝えられている”はこ岩”も、木々の間から見える。ゆっくり参拝した。

そして、この徐福についての“語り部”歴史研究家の石倉昭重さんのお宅におじゃました。
新井崎神社を守り、訪れる人たちに気軽に話をしてくれる。
お宅は神社から少し離れた同じ道端にある、「徐福案内処、蓬莱庵」の看板が出ている。
時間をとっていただき、面白い話を聞くことができた。石倉氏は、いろんな雑誌やテレビのインタビュ-にも登場している。

 神社に立っている漢文で彫られている「新大明神口碑記」を、自ら日本文に解読した資料や”徐福伝説”を、
今に伝える資料など、貴重なものをいただいた。

 そして、開口一番話し出された、
「徐福は実在の人で、故郷も子孫も解っている。そして、3000人もの人を連れて航海に出たので、
日本の各地(数十か所)にその伝説がある。本人でなくても伝説として、残されているのだろう。
 また、不老不死の仙薬を求めたというが、それだけではない、始皇帝から何か特別の目的を命じられた“特命の使者”ではなかったかと。
それでないと、仙薬だけを求めて3000人もの人を付けるはずがないと・・・」
果たして何なのか?交易交渉だったのか、領地拡大の探りなのか。

 

 ここで、丹後の””の持つ意味を見ておきたい。
中国では、不老不死の仙薬を練り上げる為の原料を「丹」といった。
「丹砂」 「朱砂」といい、赤い色をした土から、その薬の原料を抽出する、赤い色の土には、硫化水銀が含まれている。
この精製法を知っていたのが方士=道士=徐福であった。
徐福がこの地に上陸したというのは、硫化水銀を求めたということかもしれない。

 丹後には、「朱丹」 「丹生土」 「あかはげ」などの地域があり、赤い土を産出する。
また、丹後唯一の「丹生神社」が丹後町にあり、この神社の周辺に「道家」という性の方々が多く住んでいる。
「道家」とは、すなわち、”道教を捧げる家”と推測でき道士、方士に連なるのである。

 石倉さんから頂いた”徐福伝説”の資料に目をやろう。

「「紀元前221年中国の統一に成功した秦王の「政」は、新たに皇帝の位を作り、「始皇帝」と名乗り咸陽に都した。
そして、道教の方士、徐福を召して、不老不死の霊薬を求めることを命じた。
当時、神仙思想が流行し、仙丹に七辺八還の法があって、この仙丹を服すると不老不死になることができるといわれた。

 仙丹は、三神仙(蓬莱、方丈、ヱイ州)に仙人が仙丹を練り、不死の薬を蓄えていると言われていた。
始皇帝は、この神仙に居たことがあるという徐福を召して命じたのであった。

 口伝によると、徐福は第七代孝霊天皇の時代に、自らの易ゼイによって予知し、この地に漂着したと伝わる。
求めたのは、「九節の菖蒲(しょうぶ)と黒茎の蓬(よもぎ)」であった。今もこの地にそれは存在するという。



 いまひとつ伝えられているものがある、本墨画で、与謝蕪村作、「方士求不死薬図」(ほうし、ふしやく、もとめるず)というものである。
与謝野町、滝の真言宗「施薬寺」に残る、六曲屏風一双がそれである。新井崎に残る伝説を蕪村が聞き、
丹後に遊んだ宝暦4〜7年の間に想像して書かれた作と言われている。
南画の大家らしい作であるといわれ、「施薬寺」に残っていることが面白い。

 さらに徐福については、先に「史記」にあると書いたが、ほか「漢書、後漢書、随書などの中国の歴史書に東渡の記述があり、
1982年にその故郷が発見されるに及んで、一躍歴史学者の注目を浴びた。
故郷は、江蘇省雲港市金山郷徐福村である。

 また、この時期は、稲作、農耕、銅や鉄の金属、漁法、医学薬学、文化の渡来時期とほぼ一致しており、
徐福のハイテク大集団と弥生文化との因果関係は興味深い。
徐福の東渡は日本文化の源、日本古代文化の謎を秘めた壮大な歴史ロマンである」」と石倉氏の資料に書かれている。
稲作と技術を伝えたと言われる徐福がこの「伊根」(いね)に祀られているのも面白い。

 日本には、多くの徐福伝説(20か所ぐらいある)がある、石倉氏も言われた如く、 徐福とともに渡来した人達が、
その文化を各地に残した、これは広範囲に亘る交易が行われたことを示していると思えるのである。
紀伊半島の熊野、津軽の小泊、秋田の男鹿半島、八丈島、尾張の熱田、安芸の宮島にもその伝説は伝えられている。

新井崎のこの地まで来ると、もう一か所寄りたい所がある。
それは芸能人もよく泊るという旅館、「奥伊根温泉 油屋本館」である。
宿のパンフをみると、「奥伊根の隠れ里、洒落たものは何もありません、唯広がる海ばかりが、語りかける」と書かれている。
でも新鮮な”さかな”料理は食べれるだろうと。


2−1 奥伊根温泉 油屋本館に泊まる【客室編】≫

2−2 奥伊根温泉 油屋本館に泊まる【食事編】≫

2−3 奥伊根温泉 油屋本館に泊まる【温泉編】≫


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