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丹波・丹後ロマン紀行として、この地域に伝わる神話や伝説について、いくつか述べてきた。
天橋立神話」 「切戸の文殊神話」 「羽衣、天女伝説」 「大江山鬼退治伝説」など
ロマンあふれる話が沢山残されている。

 しかし、何といっても日本国中で最もよく知られている「伝説」は、「浦島太郎伝説」ではないだろうか。
「伊根の舟屋群、徐福伝説」に続いて、この「浦島太郎伝説」について述べることにしたい。

 但し、遠い昔話である。
今回も、多くの書籍、文献、資料から引用したり、参考にさせていただいたことを、お断りしておきたい。

 「伊根の舟屋」が有る場所からそれ程遠くない、伊根町本庄(筒川)に宇良神社(浦島神社)がある。
ここは「伝説」「説話」「おとぎ話」「謡曲」などでおなじみの「浦島太郎」が祭られている神社であり、
太郎が生まれた土地だといわれている。そして神社には「玉手箱」や「浦島明神縁起」も残されている。

古くから、「浦嶋子伝」として「日本書紀 」や「万葉集 」にも見え、「丹後国風土記、逸文」にも載せられている。
また、「扶桑略記」や「浦嶋子伝」「宇治拾遺物語」にも取り上げられている。さらに近世に入ると、
幸田露伴の小説「新浦島」(明治28年)、島崎藤村 の詩「浦島」(明治34年)、
森鴎外 の戯曲「玉くしげふたり浦島」(明治35年)、
坪内逍遥の楽劇「新曲うら島」(明治37年)などにも書かれている。

まず「丹後半島歴史紀行-浦島太郎伝説探訪(瀧音能之、三舟隆之)」(河出書房新社)の中に、
「日本書紀と浦島太郎」について書かれている。見てみることにしよう。 


日本書紀雄略天皇22年7月ノ条に「丹波国の余社郡の管川の人、瑞江浦嶋子 舟に乗りて釣す。
遂に大亀を得たり、便(たちまち)に女に化為る。是に浦嶋子 威りて婦にす、相遂いて海に入る、
蓬莱山に至りて仙衆(ひじり)を歴り観る」 語は別巻に在り・・・と。 極めて簡略に

@浦島は漁師である。

Aある日、釣りをしていて大きな亀を釣り上げる。

B亀は若い女に化ける。

C一緒に海の中、常世の国に行く。

Dながくそこに住む。 

その後のことはない。 別巻というのは「丹後国風土記」のことを指すという説がある。 
ここで「丹後国風土記、逸文」の中の「浦嶋子」とはどの様なものか、見ておきたい。

浦島太郎伝説

この話は丹後の国司であった伊預部馬養(いよべのうまかい)により記録されたといわれている。
 「雄略天皇の御世、嶋子は一人舟に乗り、海へ釣りに出かけた、ところが一匹の魚もかからない、
そして三日三晩がたっても釣れないのであきらめようとした時、五色の亀がかかった、
不思議なことがあるものだと思い、それを舟に引き上げて眺めているうちに、嶋子は居眠りをしてしまった。
するといつの間にか亀は乙女となった。
しばらくして、眠りから覚めると、目の前には大そう美しい乙女がひとり、 嶋子はびっくりして、話しかけた」 

 「あなたはどなたですか? ここは人里はなれた海の上、どうやってここまで来たのでしょう、」

乙女は微笑んでこう応えた、
「すてきな方が,ひとり海の上、どうしてもお話してみたくなって、風と雲に乗ってやってきました」 

嶋子はまた聞く、「風と雲に乗るだなんて、一体どちらからいらっしゃったのですか?」 

「私は天上にある仙(ひじり)の家のもの、どうか仲良くしてください」 
乙女が神とわかると嶋子は恐ろしくなり、また、わが身に起こったことが信じられなかった。 

乙女は、
「これまでずっと遠くから、あなたのことを思っていたのです、
私のこの気持ちは、この世に天と地がある限り、月日が輝く限り、これからも変わりません。
どうかあなたの気持ちをお聞かせください」 

嶋子は乙女を見つめながら
、「そこまで慕われては胸がイッパイで言葉になりません。もちろん私の心もひとつ」

 「ではいっしょに蓬莱に行きましょう」  乙女は嶋子に目を閉じるようにいった、

すると、あっという間に二人は海に浮かぶ大きな島に行き着いた。 
地面はまるで真珠を敷き詰めたよう、楼閣はキラキラと照り輝く、
そして二人は大きな建物の前まで来て、嶋子に少し待つように言って乙女は中に入った。

やがて、家の中に案内され、父と母に会い、そして多くの者たちの歓迎を受ける。
ご馳走、神舞、歓宴で時のたつのも忘れた。

そして三年が過ぎた、嶋子はいつしか故郷を懐かしく思い出すようになり、 両親のことが気がかりでならなくなった。 
ある日、嶋子は乙女に
「徳のない小人物は、異国の地でも故郷ばかりを思い、狐は巣のある丘を向いて死ぬ、
昔の人のこんな言い伝えを是までなんとも思っていなかったけれど、
その通りじゃないかと思うようになった」といった。 

「帰りたくなったの」 

「神仙(とこよ)の国にやってきたけれど、どうしても故郷のことが忘れられない、
ほんの少しでいいから故郷に行って両親の顔を見てみたい」 

乙女はその言葉に涙を流した。
「いつまでも思いは変わらない、そういって永遠を誓い合ったのに、
故郷がなつかしくなって、私を棄てていってしまうのね」 

そして嶋子は帰ることになった。 
乙女の両親、親戚に見送られ、乙女の
「こんな私のことでも忘れずにいて、この玉くしげがあれば、もう一度ここに戻ってこられる、
ただし、どんなことがあってもあけてはダメ」  

嶋子はひとり舟に乗り目を閉じた、すると、あっという間に筒川の里に着いた。 
行き交う人も、家も何もかも、見覚えのあるものは何もない、そこで村人に尋ねた、
「水之江の浦嶋子の家の人は何処に行ったのでしょう」 

村人はしばらく考えたのち 
「そんな昔の人の話をするなんて、あなたはどちらからいらっしゃったのですか、水之江の浦嶋子といえば、
今から三百年も前に、ひとりで海に出かけ戻らなかった人だと昔、年寄りから聞いたことがある。
なんでまた、そんなことを尋ねなさるのか」 

嶋子は呆然となり、あちらこちら歩き回った挙句、約束のことも忘れ、乙女恋しさのあまり、゛玉くしげ”をあけてしまう。
するとたちまち、かぐわしい蘭の様な乙女のからだが雲となって立ち上り、風が流れて青空の向こうえと消えてしまった。
嶋子は”はっと”我に返り約束のことを思い出した、もはや二度と乙女に会えなくなったことを知り、途方にくれた。
歩き回った。そして、涙を流しながらこう歌った。  

””常世べに 雲立ち渡る 水之江の 浦嶋の子が 言いもちわたる””

 乙女も、はるかな国から美しい声で歌った  
””大和辺に風吹き上げて雲はなれ 退き居りともよ、吾を忘らすな”” 
(大和の国から風が吹き上げて雲も吹き飛ばしてしまった、
あなたと離ればなれになってしまったけれど、どうか私を忘れないで・・) 

以上は、「丹後国風土記、逸文」に残されている、「浦嶋子」の伝説であり、最古のものであるが、
この原典があったと考えられている。

それを、伊預部馬養がラブスト−リ−に仕上げたのであろうと・・・

* 伊預部馬養(いよべのうまかい)  
7世紀後半、持統天皇、文武天皇の時代に活躍した人、大宝律令の制定に参加、中国文化に通じた漢学者
丹後国守として赴任し、口伝されていた”浦島太郎伝説”を書き残した、
それが「丹後国風土記、逸文」として 残された。
大宝二年(702年)に45歳で死去。

*「風土記」
和銅6年(713年)朝廷の詔により、各地でまとめられた地誌である。
 


 「万葉集」では、巻九の雑歌の部(1740、1741)に同様の物語が見られる。
 「春の日の、霞める時に 墨江の 岸に出いて 釣り船の とおらふ見れば 古の事ぞおもほゆる 水江の浦嶋の子が
 堅魚釣り 鯛釣りほこり 七日まで 家にも来ずて 海界を 過ぎて漕ぎ行くに 海若の 神の女に たまさかに・・・」と続く
 話の内容はほぼ同じである。 

浦島太郎伝説

ここでは、舞台は丹後国ではなく、「墨江」となっており、これは摂津の住之江、 即ち大阪の「住吉」だという。

浦島太郎伝説

浦嶋伝説は広い範囲にあったという事か、内容は,殆ど同じだが、常世の国で長い年月、暮らしたのち、
帰ってきて、昔の面影がすっかり変わっているのにびっくりし、
「玉くしげ」を開けると白い煙が出て老人に成るという「玉手箱」が「玉くしげ」に変わり、「玉」は「魂」であり、
白い煙は魂が天に昇ることを示し、命が終るということになっている。
常世の国=蓬莱山=神仙思想の影響を受けたといわれている。 



さて、次には浦島神社に残る「浦嶋明神縁起」についてみてみたいと思う。
この「縁起」は絵巻物である。
縦32,8センチ、全長9,6mという長大なもので”絵”ばかりが長く続いている。

一般的に”絵巻物”といわれるのは詞書があり、つぎにその”絵”が有って、詞書と絵が交互に展開されるのが普通である。
しかしこの「浦嶋明神縁起」は、横幅53センチの紙を18枚つないで作られている。 
詞書の部分が切り取られたのではないかと疑問に思う人もいるかもしれないが、その形跡はないといわれる。 

浦島太郎伝説

内容については
第一紙から三紙は筒川荘の図 
四紙から六紙は海上で亀を釣り上げる図 
七紙から十一紙は蓬莱山(竜宮城)での生活 
十二紙、十三紙は故郷へ帰ってきた浦嶋、 
十四紙は浦嶋明神として祭られる太郎、
十五紙は大明神の祭礼の様子である。 

この「浦嶋明神縁起」絵巻で面白いのは、浦島太郎が再び常世の国から故郷へ帰り、
乙姫からもらった「玉手箱」を開けて、白い煙と共に老人に成ってしまった。
そして大明神として祭られるというものである。 

それでは次に、「御伽草子」の浦嶋太郎はどの様に書かれたのか、見ることにしよう。
一般的に、「御伽草子」とは庶民向けの小説のことといわれている。
よく知られているのが、「一寸法師」 「酒呑童子」 「小敦盛」 「木幡狐」などであり、中でも「浦島太郎」は有名である。  

内容については「昔、丹後の国に浦島というもの侍りしに、その子に浦島太郎と申して、
年のころ24〜5の男ありけり」で始まり、男は漁師であり、父母を養っている。
ある日、釣りに出て大きな亀を釣り上げる。
「汝、生あるものの中にも鶴は千年、亀は万年とて命久しきものなり。
忽ちここにて命たたんこといたはしければ助くるなり。常にはこの恩を思い出すべし」と言って亀を助けた。 

翌日、また海に出て釣りをしていると、小船が浮かんでおり、よく見ると、一人の美しい娘が乗っていた。
舟が流され、ここまできてしまった。自分の国まで送ってほしいと頼まれる。
10日ばかりの旅の後、女性の故郷に着く。

「銀の築地をつきて、金の甍をならべ、門を立て、いかならん天上の住居も、これにはいかで勝るべき」と言う見事なもの。
ここで三年間を送ることになる。 

そして、自分の父母のことを思い出して帰ることになる。女性は、さめざめと泣いて
”実は自分は龍宮城の亀の化身で、助けられた恩に報いて夫婦になった、と言い、
一つの箱を取り出し、決して開けてはなりません、と言って渡した。

浦島太郎伝説

そして太郎は、故郷へ帰ってくる。 
変わり果てた土地と、知らない人ばかり、約束を忘れ、”箱”を開けてしまう。
そして老人になり、さらに鶴になって天空へ昇っていってしまう。 
そして、物語は「浦嶋は鶴になり、蓬莱山に愛をなす、亀は甲に三せきの祝いを供え万代に経しとや、
さてこそめでたき様にも鶴亀をこそ申し候へ。 
ただ人には情あれ、情のある人は行く末めでたき由申し伝へり」 そして後、浦嶋は丹後の「浦嶋明神」として祭られた。
めでたし、めでたしと結んでいる。 



今ひとつ、「むかし話」として伝えられた「浦島太郎」はどの様なものか。
むかし話は、口承文芸であり、”語り”で引き継がれてきたものである。「昔むかしあるところに・・・」で始まり、
「と言うことであったとさ」で終る。

時期、時代、確かな場所も明確にしないのである。曖昧にすることで、一般的、普遍的にして、
誰でもに当てはまる形式にしたと考えられる。

しかし、この丹後にはない。
「丹後半島歴史紀行」に取り上げられているのは、香川県仲度郡に伝わる「むかし話」浦島太郎である。

浦島太郎伝説

漁師で、父母と暮らしている。ある日、漁に出て亀を釣り上げる。
助けるのではなく、漁の邪魔になるとして、すぐ放してしまう、そして、三度までも魚はかからず亀がかかる。
釣れないと帰ることもできず、続けていると、渡海船がやってくる、船頭が
「龍宮の乙姫様のお迎えだ」と言って、一緒に龍宮界に行く、乙姫は、2〜3日遊んでいくがいい、と、ご馳走をだしてくれる。 

そして三年の月日をおくってしまう。故郷の年老いた母を思い出し帰るという。
乙姫は、泣くこともなく、引き留めもしないで、三重の「玉手箱」をくれる、”困った時に開けるがよい”と。 

帰ってきた故郷は、すっかり変わり、母もずっと昔になくなったと、
そして、「玉手箱」を開けると、鶴の羽、白い煙、鏡が入っており、
老人に成った太郎は、鶴の羽根をつけ飛び立つことになる。
母の墓の上を舞っていると、浜に乙姫が”亀”になって上がってくる。 鶴と亀が舞うという「伊勢音頭」の由来である。
と、話は結ばれている。 

さて、日本最古の文献「日本書紀」そして「万葉集」さらに「浦嶋明神縁起」絵巻、
「御伽草子」「むかし話」など浦島太郎伝説を追ってきた。

西暦五百年以前にすでに、その原典といわれるものが有ったと考えられるが、時代と共に、
またいろんな地方で伝えられ、変化し今日まで来たと思われる。太郎が漁師であることを除いては変化しているのである。

しかし、この伝説が、唯の物語や作り話ではないのではないかと考えるのは私だけであろうか。


浦島太郎伝説その2へつづく≫

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