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2007年12月に丹後半島の日本海沿いを走る178号線(京丹後市丹後町〜久美浜町)が
「日本風景街道」に登録され、風光明媚な一帯の観光資源を活かした道づくりが進められている。
そして、この街道は「古代ロマン街道」と命名された。

 2010年4月上旬、桜花満開の快晴の日に、丹後奥伊根温泉「油屋」に一泊の後、浦島伝説発祥の地、
本庄浜、浦嶋神社に立ち寄った後、経ケ岬--丹後松島--間人(たいざ)--琴引浜--網野と車を走らせ、
この地に残る歴史や風景を楽しむことにした。

カマヤ海岸景勝地
カマヤ海岸景勝地

 左側は山、右側は海である、美しいの一語に尽きる海岸線である。
蒲入(かまにゅう)、カマヤ海岸、経ケ岬燈台、袖志(そでし)、宇川の九品寺穴文殊、自衛隊経ケ岬分屯基地、
丹後松島、犬ケ崎、筆石の屏風岩、古代の里資料館、竹野神社(斎宮神社)、道の駅(てんきてんき丹後)、立岩、
間人皇后(はしうどこうごう)と聖徳太子の母子像、後カ浜(のちがはま)、琴引浜と鳴き砂、網野神社、嶋児神社、などが
主だった立ち寄り先であった。

カマヤ海岸景勝地
カマヤ海岸景勝地

 先にも記述した、「浦島太郎」の伝承地、本庄浜で昔をしのび、
しばし波打ち際に佇んでいた。そして178号線を蒲入へと海岸線に出た。美しい風景が広がってきた。

経ケ岬燈台

経ケ岬燈台 経ケ岬燈台

 丹後半島の突端、経ケ岬の140mの断崖に立つ燈台で、全国で5つしかない第一等レンズを使用する。
初めて灯をともしたのは、明治31年12月である。眼下には、約800mにわたり、黒い岩肌の柱状玄武岩が続く、
映画「喜びも悲しみも幾年月」のロケ地でもある。
天気の良い日には、遠く越前、能登半島、白山連峰を見ることができる。ここは京都百選に選ばれている。

経ケ岬燈台

 経ケ岬の地名については数説ある。1つは、悪龍が暴れ、これを文殊菩薩がお経の力で教化したという説、
いま1つは、沖からみると、海岸の崖が経本のように見えるので、船人たちが、ここを通る時、安全を祈願して、
お経を唱えるというところからの説、また、ここが与謝野郡と竹野郡との海境で”境ケ岬”と呼んだものが変化して
「経ケ岬」となったという説、など、いずれにしてもここは”絶景ポイント”である。

 「袖志(そでし)の棚田

袖志(そでし)の棚田

 ここには「日本の棚田百選」に選ばれている「袖志の棚田」がある。178号線に沿い、また、海に面している。
海と山の間にある約400の棚田が作られている。海とのコントラストが美しい。

 「宇川の九品寺穴文殊

宇川の九品寺穴文殊

 境内は、千古の老松が生い茂り、堂宇の背後は玄武岩の数十mの絶壁である。
その経ケ岬の岩窟海心穴に安置されていた「本尊文殊菩薩」をここに遷仏したと伝わる。ゆえに「穴文殊」という。
この寺は鎌倉時代に創建された。文殊菩薩は、釈迦の左に侍して“知恵”を司る仏である。

自衛隊、経ケ岬分屯基地

 この寺に隣接して、「自衛隊、経ケ岬分屯基地」がある。幾棟かの建物があるが、
主役はすぐ目の前の山の上にある二つのド−ム型のレ−ダ−アンテナであるという。
 門の前まで歩み寄る小生に、
“観光ですか?ここは何もありません、あの山の上が主役です”と基地に入るのを拒むがごとく話しかけてきた制服の隊士、
確かに、北朝鮮が近いこの地は、舞鶴の自衛隊と連携しながら日本海の安全を守っているのだと感じ入ったものだった。

丹後松島

丹後松島

 178号線をさらに西に向かうと「丹後松島」の展望所が見えてくる。少し休んで、ゆっくり美しい海を見ることにしよう。
この場所から経ケ岬を眺め、島じまの点在する形を日本三景「松島」にちなんで「丹後松島」と呼んでいる。
京都百選に選ばれている景勝地である。

犬ケ崎

そして、次に「犬ケ崎」と呼ばれる、海に突き出た,
山と小岩が見える、犬の寝ている姿に似ているところからそう呼ばれた。
また、間人(たいざ)から見ると、犬が遠吠えしているようにも見え、そのような名が付いたという。

犬ケ崎

 そして、「犬ケ崎トンネル」を抜けると、筆石の海岸に高さ13mもある奇岩が、海中から立ち上がっているのが見えてくる。
丁度屏風のような形をしているところから「屏風岩」と言われている。

この「屏風岩」から沖に向けて五つの小さな岩が並んでいる、台地の亀裂の変化を示している。ここもビュ−ポイント。

 「てんきてんき丹後

てんきてんき丹後

 道の駅である。立ち寄り昼食をとった、広い場所に古代丹後の遺跡のモニュメントや公園のような、ゆったりとした設備がある。
駐車場も広い、ゲ−トボ−ルのグラウンドもあり、多くの人たちが楽しんでいた。地元の農産物も展示販売されていた。

後が浜の「立岩」
後が浜の「立岩」

筆石の屏風岩
筆石の屏風岩

 この道の駅から5分ぐらいの海側に、「立岩」がある。玄武岩の大きな岩であり、海の中にある、
周囲1km、高さ20m、近くまで行くことができる。聖徳太子の異母弟、麻呂子親王が、大江山の鬼をここまで追い詰め、
この岩に閉じ込めたという伝説が残されている。そして、この浜を「後が浜」(のちがはま)といい、
そこに「間人皇后(はしうどこうごう)と聖徳太子」の母子像が立っている。

 筆石の屏風岩

 穴穂部間人皇后は、29代欽明天皇の皇女として生まれ、31代用明天皇の妃となり、聖徳太子を生んだ実の母である。
血筋としては蘇我稲目の孫に当たる。
実弟の穴穂部皇子が物部守屋を使い、姉の夫である用明天皇を殺害し、後継者争いをしている。
この蘇我、物部争いから逃れるため、一時期この地に身を隠したのであった。

 間人(たいざ)という地名は、間人皇后が、蘇我、物部争いが終わり、
この地を去り、大和に帰る時、里人への感謝の気持ちから、自分の名をとって、 この地を「間人(はしうど)」と名付けられた。
しかし里人たちは、そのまま間人(はしうど)と呼ぶのは、恐れ多いとして、
皇后が「退座」されることにちなんで「間人(たいざ)」と呼ぶようになったと伝わっている。

 「丹後古代の里資料館

丹後古代の里資料館 丹後古代の里資料館

 京丹後市には、多くの古墳が存在する。
中でも日本海側、最大級(全長200m)の古墳、網野跳子山古墳、と神明山古墳等から出土した縄文時代、
弥生時代の遺物が展示されている。また屋外には、竪穴式住居や高床式倉庫が復元されている。
古代ロマンの香りとともに、古にタイムスリップするようだ。 
この資料館のすぐ前に「竹野神社」が鎮座する。

 「竹野神社

竹野神社 竹野神社

 古事記によると、丹波の大県主、由碁理(ゆごり)の娘、竹野姫は第九代開化天皇の妃となった。
晩年郷里の竹野に戻り、天照皇大神を祭ったのが、この神社の始まりという。
また、摂社として「斎宮神社」も併祀されており祭神は日子坐王、建豊波豆羅和気王である。
この二人は開化天皇の皇子であり、日子坐王は四道将軍丹波道主命の父に当たる。

「室町時代には、武将の保護厚く、江戸時代にも歴代宮津、出石藩主と久美浜代官の崇敬が厚かったほか、
航海安全の神として、多くの信者の参拝があった。

 享録三年(1530)10月社殿焼失、現存するものは、天保元年(1830)3月に再建されている。
 麻呂子親王の鬼退治伝説を伝える絵巻物も残されているが、その時従軍したといわれる桜井氏の子孫が代々宮司をつとめ、
現在は59代目の当主である。」と「もっと知りたい、伝えたい丹後の魅力」に掲載されていた。 
こんもりと繁った木々の奥に社殿はあり、静かに祀られていた。

 「琴引浜

琴引浜

 さらに178号をやや南に下る、案内板に従い海岸に出る。
打ち寄せる白い波、波除ブロックの一つもない自然の砂浜、きれいな海水で、よく洗われた石英の砂粒が、
歩くとキュツキュツと鳴く、特にすり足で歩くとよく鳴く、この海岸は、2007年7月、国の天然記念物、名勝に指定されている。
砂が鳴くのは”きれいな証拠”。夏には海水浴場として賑わうが、「禁煙」ビ−チである。
厳しく保存保護されている1,8kmの美しい砂浜なのである。

琴引浜

 駐車場で500円の料金を支払う、砂浜管理の協力金が含まれている。
おじさんが、丁寧に”鳴き砂”について説明してくれた。
 外国では”鳴き砂”を、「ミュ−ジカルサンド」というらしい、全国で40ケ所位が確認されているが、
ここ琴引浜が「鳴き砂日本一」と言われる。

 「21世紀に引き継ぎたい日本の白砂青松百選」 「残したい日本の音風景百選」 「日本の渚百選」にも選ばれている。
 砂浜に続く松林の中には、安土、桃山時代の丹後の領主、細川藤孝(幽斎)や歌人与謝野鉄幹、晶子夫妻の歌碑が建っている。

 平成十四年十月オ−プンの「琴引浜鳴き砂文化館」は、世界で唯一の「鳴き砂テ−マ施設」であり、
鳴き砂についての歴史や世界の鳴き砂などを展示している。

 いつまでもこの世界に誇る自然の美しい資産を残しておきたいものである。足をすりすり歩いてみた、
時々”キュッキュッ”と鳴く、打ち寄せる波の音を聞きながら広い砂浜を存分に歩いた。そして網野神社に向かう。

網野神社

 京丹後市網野町網野に鎮座する「網野神社」は、延喜式内社で創建は十世紀以前とみられる。
祭神は、日子坐王、住吉大神、水之江浦嶋子神である。
現在の本殿は”一間社流造り” (いっけんしゃながれづくり)で大正11年に建てられたが、昭和2年の丹後大震災で被災し、
その後昭和4年に再建された。拝殿は、入母屋造りの正面千鳥破風と軒唐破風付であり、立派な美しい神社である。

網野神社 網野神社

 「日子坐王」は第9代開化天皇の皇子で、大江山の鬼退治をした伝説の中で述べた。「竹野神社」でも祭られている。
 「住吉大神」は、大阪住吉に祀られている三筒男神であり、海人族に連なる。
 「水之江浦嶋子神」は浦島太郎である。
境内にある、満開のさくらの木の下で、車いすに乗った4〜5人のご老人達が和やかに“花見”を楽しんでいた。
社務所に立ち寄り、「網野神社御由緒」をいただいた。参拝の後、近くの嶋児神社に向かう。

 「嶋児神社

嶋児神社 嶋児神社

 網野の海を目の前に見る海岸に、その神社はある。本当に小さな“社”である。道の端という感じで、
隣に亀に乗った「浦島太郎」の像がある。後々、”物語”から誰かが建てたものであろうか。
太郎がいつも魚釣りをしていた場所だったと言われている。

嶋児神社

 さらに南下すると久美浜である。この地のことは、昨年11月、すでに「久美浜探訪」として記述した。
今回の「古代ロマン街道を走る」の旅は、ここで終わることにしたい。

丹後半島を、ほぼ一周したことになる。「街道」の名に相応しい”古代を訪ねる”小さな旅であり、
美しい海岸美を見る旅でもあった。
 


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