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21.舞鶴見てある記


舞鶴見てある記 舞鶴見てある記

眼下に宮津湾が冬の柔らかい陽の光を受けて、光っている。
その向こうに、栗田(くんだ)半島が黒く横たわっている。
いつも見る、別荘の朝の風景である。 その栗田半島の裏側は舞鶴である。

12月4日(土)舞鶴まで、車を走らせた。このシ−ズン”松葉ガニ.”で、この町、 特に「とれとれセンタ−」は活気づく。
この地に来てより、3回目の冬の舞鶴行きである。
今回は、事前に訪れる場所を「観光ガイド」でチェックし計画した。
舞鶴港とれとれセンタ−」 「海上自衛隊桟橋」 「赤れんが博物館」 「赤れんが倉庫群」 「引揚記念館
 「史跡田辺城跡」 「桂林寺」、そして道中、森鴎外ゆかりの場所、奈具海岸景勝地などであった。

舞鶴見てある記 舞鶴見てある記

 KTR(北近畿タンゴ鉄道)と国道178号線は由良川の鉄橋を渡るまでは、同じラインを走っている。
いわゆる景勝「奈具海岸」が見える場所までである。

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沖にかすかに冠島を望む、そして、森鴎外の小説「山椒大夫」の”安寿と厨子王”の汐汲浜へと続く。
左手に海を見ながら、曲がりくねった海岸線を走る、そして、ほどなく由良の温泉街(海水浴場)へ入っていく。
 由良川を渡った鉄道は、川の左岸を南下する。
178号線も、川の右岸を相対する様に南下し舞鶴の町へと入っていくのである。

舞鶴見てある記 舞鶴見てある記

 途中、「安寿と厨子王の像」を見て、「山椒大夫屋敷跡」の標識や小高い森の中にある「三庄大夫屋敷跡」と小さな祠、
石塔三つも見ることができた。ここに一つの実話があり、それを森鴎外が小説「山椒大夫」にまとめ上げ、
世に出し、名作となったのであろう。

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「山椒大夫」の一説が彫られている、おおきな石の「森鴎外文学碑」のある公園にも立ち寄り、
「由良の戸を 渡る舟人 舵をたへ ゆくえもしらぬ 恋の道かな」と詠まれた百人一首の碑も見て、
岩に打ち付ける白い波と、冬にも関わらず、その波を利用して遊ぶ数人の、サ−ファ−たちを見ながら舞鶴の中心地へ向かった。
約45kmのドライブである。

舞鶴見てある記 舞鶴見てある記

 小説「山椒大夫」のあらすじ、を記しておこう。
「「安寿と厨子王の姉妹は、奥州、日ノ本将軍,岩城の判官正氏(まさうじ)の子で、
無実の罪で九州大宰府へ流されていた父の無実を晴らそうと、母とともに都へ上がる。
しかし、途中直江津を出てから人買いに売られ、母と別れ別れになって姉妹は丹後の由良へ、山椒大夫に買われ奴婢として使われる。 
安寿は海の”汐汲み”を、弟は山の柴刈りを命じられる。
しかし二人は、武士の子で不慣れ、苦労を重ねる、安寿は厨子王に都に行かせるため、逃亡させ、自らは後自殺する。
厨子王は逃れて、近くの国分寺の僧に助けられ、都に上がる。
そして、父の無実を解いて旧領を安堵され、丹後の国の支配も任される。
そして、厨子王は、山椒大夫に買われた奴婢の解放を行い、蝦夷地にいた母も救うという話」」この地は、海運で栄え、
特産品としての”塩”を生産していたであろう。”汐汲み”とその海水を焼いて作る”柴”は必需で、この物語は生まれたのではないか。
「山庄大夫」が「山椒大夫」に置き換えられたと考える。

舞鶴は、「赤れんがのまち」と言われ、旧海軍「舞鶴鎮守府」はじめ、赤れんがの建造物が今も多く残っている。
主なものは、舞鶴市政記念館(明治35年建設)、舞鶴市立赤れんが博物館(明治35年)、まいづる智恵蔵(明治35年)、
自衛隊倉庫群(明治34年)など、これらは平成20年「舞鶴旧鎮守府倉庫施設」として7棟が国の重文に指定されている。  

 舞鶴見てある記 舞鶴見てある記

 明治33年来、日本海軍の重要な軍港として発展した。今は海上自衛隊舞鶴地方総監部が置かれ、海の平和を守っている。
北吸桟橋には自衛艦が係留されている。今一つ忘れられないのが「引揚げの町舞鶴」である。
昭和20年(1945)第二次世界大戦の終結に伴い、当時海外に残された日本人は、660万人以上と言われ、
その人たちの速やかな帰国を受け入れる引揚げ港の一つにこの舞鶴港が指定された。
20年10月7日の第一船入港から、昭和33年9月7日の最終船まで、実に13年の長きにわたり、その使命を果たした。
昭和25年以降は唯一の引揚げ港として「引揚げの町舞鶴」は全国にその名が広まった。
 
 二葉百合子の歌う「岸壁の母」は、その哀調帯びたメロディ−と共に、多くの人の心に深く刻み込まれている。
また、古くは織田信長の信頼厚く、宮津藩主となった細川藤孝(幽斎)が後に宮津を実子忠興に譲り、自らは舞鶴田辺城に入る、
そして、関ケ原の合戦の前哨戦となった、石田三成の大軍による細川攻めで「田辺城籠城戦」の舞台になったところでもある。

舞鶴見てある記 舞鶴見てある記

 舞鶴の町は、県道27号が中央を東西に走っている、その27号線に沿って「とれとれセンタ−」がある。
土曜日でもあり多くの人たちでにぎわっていた。”焼きがに” ”ウニ・イクラ丼”など注文し、昼食をとった。
「道の駅」や他の食堂もあり、一大センタ−となっている。そして、「自衛隊桟橋」へ向かった。  

とれとれセンタ− TEl 0773-75-6125

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 しかし今回は、残念ながら軍艦見学は出来なかった。日米合同演習が数日前から全国的に行われており、
その影響で乗艦出来なかった。港に浮かぶ艦船のみ、遠くから写すのみだった。
通常は、土、日,祝など見学ができる(9〜16時)無料、
予約要、0773-62-2250(自衛隊,広報係)  次の目的地「赤れんが博物館」へ向かった。

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 「赤れんが博物館」は、約1万年前から始まったといわれる”れんがの歴史”を伝えている。
明治36年(1903)に旧舞鶴海軍兵器廠魚形水雷庫として建設された、本格的な鉄骨構造のれんが建築物で現存する最古級である。
現在、博物館として活用されている。古くは、エジプト、メソポタミア、インダス、黄河など4大文明発祥地で使われていた”れんが”などや、
また、作り方を展示している。

   赤れんが博物館 TEL, 0773-66-1095   FAX、 0773-64-5123

舞鶴見てある記 舞鶴見てある記

 「舞鶴引揚記念館」は中心部から少し離れた、湾の北の端にある。周辺は今もその歴史の形態を残している。
駐車場は、混んでいた、観光バスも来ている。この記念館は昭和63年4月に開館され、 すでに23年経っている。
戦争の悲惨さや抑留の辛さ、引揚げの史実を語り継いできている。

舞鶴見てある記 舞鶴見てある記

訪れる人々は、いろんな感慨を持って、ここに来る。「引揚げ桟橋の見える丘」へ、なだらかな坂道を登っていく。
妻は少し遅れてきていたが、様子がおかしい、泣いている。
細い坂道の両側には、各地の旧軍隊の名札と記念の桜が植えられている。

舞鶴見てある記 舞鶴見てある記

時に枝には”思いの短冊”が下がっている。拡声器から聞こえてくるのは”岸壁の母”の曲である。
思い出したのであろう、苦労した父・母、自分も引き揚げてきたことを!そして、桟橋にたどり着いたことを! 
万感の想いで舞鶴湾を…記念碑を・・・そして、復元桟橋を眺めていた。  館内をゆっくり観覧した
〇引揚げまでの辛い抑留生活の様子、 〇引揚げ時の舞鶴の町の様子、 〇引揚げに功績のあった人々など。 

舞鶴引揚記念館 TEL,0773-68-0836

 再度中心部へ戻り、「田辺城跡」へ向かった。
今は公園として、「田辺城資料館」として残されている。城門と櫓が復元され、
中では細川幽斎の生涯をビデオで紹介、田辺城の歴史、街並み模型など。

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 石田三成に攻められ、わずか500人の兵で籠城した。
幽斎は、文芸界のトップに立つ「古今和歌集」の秘事口伝の伝承者であったため、
後陽成天皇の勅使が三成側に囲みを解くよう要請され、難を逃れた。
この籠城に「桂林寺」の僧たちの支援もあり、のち、梵鐘や仏涅槃図が与えられたことが伝わる。
田辺城は、細川、京極、牧野氏の居城として、約290年間続いたが明治6年廃城となった。
 なおこの城は、「舞鶴城(ぶかくじょう)」と言われ、それが”まいずる”の地名になったと。

田辺城資料館 TEL 0773-76-7211

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 幽斎ゆかりの「桂林寺」へお参りし、古刹の雰囲気と八角型灯篭(重文)なども見て、
再び「とれとれセンタ−」に立ち寄り、新鮮な”甘海老”を購入して帰路に就いた。 

桂林寺 TEL 0773-75-0168

 後日、陸海空自衛隊と米軍の日米共同統合演習で、
弾道ミサイル対処訓練を実施しているイ−ジス艦「みょうこう」 「くらま」 米軍「シャイロ−」の3隻が
舞鶴北吸桟橋に接岸したと新聞報道されていた。

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